2019-07-29 [イラスト]
どんな行動をしてもどんな選択をしてもいつも罪悪感を感じています。
スーパーでパンを買っても、買わなくても、体のためを思ってトレーニングしても、休んでも。
どっちを選んだとしてもいつも罪悪感にさいなまれてしまいます。
本当に何をすることが正しいのか?自分自身全くよくわかっておりません。
いずれにしてもとにかく決断して、その判断がどうだったのか反省、咀嚼してその経験を次に活かさなくてはなりません。
この罪悪感ってどこから来るのか?
自分のやっていることに全く自信がないからというのがとても大きいと思っておりますが、少なくともこれらの選択肢は人としての自由があるからできることであり、ある程度幸福な生活を営むことができるからこそだと思います。
そういった選択を不条理に奪われた人が大勢いると思います。
北朝鮮の拉致被害者をはじめ、先日の京アニ放火の被害者など、何ら悪いことをしたわけでもないにも拘らず、理不尽に自由や幸福を奪われた人たち、この人たちに対し、私ごときが自由や当たり前の幸福を謳歌しているということに罪の意識を感じているのではないかと思っております。
特に拉致被害者の方々は人生の半分以上を不条理な世界で過ごされているわけで到底許容できることではないと思います。
しかも唯一の希望である祖国はまるで助ける態度を示さないという絶望感は到底私の想像が及ばないものではないかと思います。
もし真っ当で将来の子孫からも経緯を持ってくれるような態度を示すのであればやはり国が滅んででも助けに行くという姿勢を示すべきではないかと思います。
死ぬのは嫌ですが、それでも不条理な扱いを受けている人を助けるためであれば身を投げ出すことができる、そういった人がどれだけ誇らしく、偉大なものか。
北朝鮮の拉致の話題になると、みんなして、交渉だの、アメリカだのを持ち出して、解決しようとしますが、それではもう無理です。
どんなかっこいいスポーツマンも俳優も芸能人も学者もめちゃくちゃなアウトローな格闘家とかそういう奴ですらもまともに北朝鮮の拉致被害者に対しは口にすることなんてないです。
交渉が通じる相手ではないことなんてまして外交力0の我が国が交渉したって絶対に解決できるわけがありません。
であれば可能性ある選択肢としては覚悟と責任をもって戦う意思を示すことではないかと思います。
もし日本がアメリカから自立し、強大な経済力と軍事力を持っていればあるいは交渉や脅しでどうにかなったかもしれませんが、今の日本にはそんなものはありません。
であれば戦うという選択肢以外で解決はあり得ないと思います。
誰かを助けるために自分の身を投げ出すことができる、私はそれがとても誇らしいものだと思っております。
子供のころ見たドラゴンボールの悟飯でありfateの士郎、アーチャーであったり私は大好きでとてもかっこよいと思っておりました。
そしてその態度こそが日本の自主独立の原動力となり、さらなる日本の発展に寄与するものだと私は思います。
子供じみていると思われてもかっこよい正義感こそが世の中をよくする第一歩だと私は考えます。