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2019-07-19 [イラスト]

バガボンドの武蔵はある時期まではとにかく自分自分でまるで金太郎飴のようにどこを切っても自分だけの人でした。

そういった人間はとにかく自分が特別で自分の不幸や怒りがひときわ世界の何よりも重要でそれ以上何も存在せず、そのためには何をしてもよいなどといった勘違いをしてしまいます。

その姿は醜く迷惑なものです。

たいていの凶悪犯の動機はそういった自分から起きています。他人のためとか社会のためとかそういった義にかられてやるなんてことはこの時代まずあり得ません。

頭の良さというのは勉強ができるとかそういうのじゃなく、相手の気持ちを理解し想像できる、そういったところでの洞察力や回転の速さだと私は思っております。

もし自分の身に理不尽や不条理が起きたときどういう気持ちになるか、どんな心理でその人の将来がどんなものになるだろうか?そういったことを想像で切れば凶悪な事件はまず起きないでしょう。

しかし自分しかない人間は他人のことなどまるでお構いなしだから、自分の不幸や怒りを解消するためなら何をしたってかまわないと、そういう考えに陥ってしまいます。

どんな人にも平等に幸せがあるわけではないにしろ等しく人生があるわけで、誰一人として特別なわけではありません。

生まれながらに社会的地位が高かったり進路が決まっていることはあるかもしれませんがそれでも人の生き方について誰が特別とかなく一人一人が特別で一人一人に人生が等しくあるわけです。それは天皇であろうが何であろうがそういうものだと私は思います。

それを勝手な理屈で他人が奪っていいわけがない。

凶悪犯は想像力なんてかけらもないからこんなことになるなんて思ってもいなかったと思いますし、自分のしたことの重さもまるっきり想像も理解もしていない。

多分それでも自分が不幸で不条理を受けている被害者だとでも思っているのかもしれません。

私が何よりも道徳とか価値化間のことを重要だと思っているのはこんなありえない不条理が起来てほしくないからでもあります。

消費税増税も直接的ではないにしろ間接的にほとんどの国民が不幸になり、そして結果として数十万人の人の命を奪うことになるでしょう。

いま日本が抱えている経済問題ももしまともな道徳や倫理観を持ち合わせていれば起きなかったと私は思います。

誰しも不幸を感じたり怒りを感じたりすることがあると思います。

しかし一線を越えないために自分自身を抑え制御するために必要なものが道徳ではないかと思います。

私は今本当に必要なことは正しき道とは何であり、そういった判断をする価値観を育むための道徳の向上と考察だと考えております。

人間を捨てたけだものが社会に出れば間違いなく不幸が起きます。

自分だけが特別など驕った醜い考えをしない理不尽や不条理が起きない、起きづらい社会になるために道徳の重要性を改めて考えてほしいと強く思います。

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