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2019-08-20 [イラスト]


右も左も保守も確信も保護主義もグローバリズムも含め経済というものをどうもお金という尺度で考え過ぎているように感じます。
お金は社会に何らかの貢献するようなものを生産して得られる対価。
つまり生産活動というかそういった人間の営み、それこそが経済の実態だと思います。
それを無視して経済的理論やMMTを論じる人にしたってそういう活動について軽んじているように感じます。
MMTというのは貨幣の理論を述べているだけのもので政治的意図や政策についてああしろこうしろというものではありません。現象を説明しているいわば貨幣の説明書。
だからその理論がおかしいのであればそれを論じればいいのでMMTが世界をどうこうするものでもない。
空気は窒素と酸素とでほとんど構成されているみたいなことを言っているだけ。
でも経済はお金の流通を示すものではない。
それはあくまで尺度の一部で本質的なものでどれだけのものが作られまたはサービスとして提供され、購入されていったかなどの人の営みを数値としての尺度を与えたもの。
お金そのものに価値はない。紙は紙で硬貨は金属。そこに価値をもたらすのは私たちの信用。
であるならもっとクローズアップされるべきは人の営み、何かを生み出す力。
私は本来であれば人がもっと進化というか成長するならばむしろ機械に頼らず何でもできるようになることではないかと思っています。
どんな料理も作れて、自転車のパンクから車のタイヤの交換まで、服もきれいにたためればアイロンもかけられる、植物の育て方も分かれば動物の世話の仕方も分かる、レジもお客さんを見て何を求めれているのか察することができる、顔色や口調でその人の体調や気分を理解することができる、運動もできれば勉強もできる、犬小屋からログハウスまで作ることができる。
こんなに何でもできる人は流石にいないだろうけど何かに頼らず何でもできる、それが真の人間の進化であり真価でもあるように思う。もちろん精神できなものも含めて。(色々な人の気持ちを察することができるなど)
今の人間は何でも機械やコンピュータ頼み。責任放棄。思考停止。
どんどん退化している。
たとえお金が上下構わず潤沢にめぐるようになっても社会が豊かになるかどうかは別。
何をもって豊かになるのか?
その本質を突き詰めていかなければたとえGDPが成長しても人が幸せになれるとは言えない。
お金で何でも買えるというおごり。人の人生、少女売春、むろん少年売春も、人格、人権、自然、時間、
所詮物や仕事を流通させるのに便利にする道具に過ぎないお金、
私たち人間が地球という時間軸に比べれば極めて短い時間の中で生みだした社会の道具の一つに過ぎないお金で何でも手に入ると思うのはあまりにもお粗末すぎる思想だと思う。
もっと人の人生、営み、時の過ごし方という本質を見つめなければ、社会が豊かになっていけないように感じる。
このまま人としての品位が融解してしまえば、社会は一瞬で崩壊してしまうように思う。どっかのおっさんが危ないスイッチをぽちっと押して。それで負の連鎖が始まって。


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